波の上のモーツァルト像

東遊園地

〒650-0001

兵庫県神戸市中央区

加納町6丁目4

 


 

Austriaモーツァルト 1991 200th MOZART

没後200年・1991

 

モーツァルト像建設の会発起人(50音順)

・諌山一彦(神戸市会議員・神戸空港開設に尽力を果たす)

・猿丸修吾(切り絵作家・1989年神戸っこ2月号にて紹介されている)

・三東哲夫(親和女子大学学長・地球 人間 環境研究論文発表)

・高須美智子

・玉木健雄(兵庫県立こども病院院長)

・田平純吉(地方公務員 後年芦屋南高校にて紀要「阪神大震災の記録」を発刊)

・長谷川悟(音楽の館主宰・エリザベト音大講師))

・藤本欣弘(公認会計士)

・三木年男(モーツァルトクラブ世話人)

・森恒夫(甲南大学教授・前学長 「東南アジアの経済開発と政府の役割」出版)

・山口光朔(神戸女学院大学教授・歴史学者 「地球時代を考える21世紀への課題」など多数出版)

 

発起人代表 

・曽根保彦(衣笠医院事務長)

モーツァルト像を神戸に!

1991125日、私たちの愛する古典音楽の巨人ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの没後200年を迎えます。すでに世界角国で記念行事の「計画が進んでいますが、私たちはこの港町神戸に、私たち自身の思いをこめたモーツァルト像建設事業を興そうと思います。港はいにしえより文化伝来の入り口。そのうえ阪神間在住のクラシックファンの数は全国有数です。まさに神戸はモーツァルト像建設の地として、ふさわしい場所です。幸い神戸市のご理解のもと、東遊園地公園にこのほど建設されます。

この像が、私たちの彼への愛を来るべき21世紀へ向けて伝えていくと共に、日本とオーストリアの友好の懸け橋になれば幸いです。お買い上げいただいたテレホンカードの収益金は、モーツァルト像建設事業の寄付金として活用させていただきます。

200年・1991 モーツァルト像建設の会

    (以上、この時に発行されたテレホンカードの内容を掲載しました)

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神戸にモーツァルト像をに大きな力を発揮した拠点 「喫茶アマデウス」

神戸元町商店街で1987年より創業のクラシックライブハウス。

神戸市中央区 元町通5丁目4-8

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つれづれなるままに・・・モーツァルト像が神戸に来るまでの記憶

1988年秋、その頃運営していた音楽教室のパンフレット裏表紙にウィーンのホーフブルク宮殿横にあるモーツァルト像の写真をずうずうしく掲載していたのがきっかけで、当時アマデウスのオーナーだった曽根保彦さんが連絡をして来られ、お会いすることとなった。初対面の曽根さんの様子は今でも鮮明に覚えている。とてもにこやかで穏やかな初老の紳士。と言った印象で、その日は我が家での小さなサロンコンサートを聴き終えた後に、本題へと話が進んだ。

「お宅さんな、モーツァルト像の写真を使ってはったから、モーツァルトお好きなんかな。と思って声かけましたんや。実は1991年のモーツァルト没後200年を記念して神戸にモーツァルト像を建立しようと計画立てているんやけど、ひとつ力を貸してくれへんか」という、親しみのある言葉で私たちへプレゼンをされた。

そこから一気に周りがモーツァルト像建立に向かって動き始める。

1990年にはモーツァルトプログラムでチャリティーコンサートを開催する機運が高まり12月に神戸文化ホールの大ホールにて行われた。代表的なディベルティメントの中にアリア「この美しい手と瞳のために kv.612」を特別出演のバリトン宮原昭吾さんとコントラバスの中博昭さんをお招きしての豪華なコンサートとなった。コンサートは成功裏に終わったが、採算の取れないチャリティーとしては痛い結果となったと思う。

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神戸に設置の希望像は、もちろんウィーンにあるモーツァルト像のレプリカであったが、その頃東京葛飾区にも同様に建立する動きがあり、お互いがオーストリア政府に申し込んだものの「日本国内に同じものを2つ設置することは許可できない。」との回答で神戸と葛飾区がウィーンの像を獲得するための話し合い(競い合い?)がもたれることとなる。結果、ウィーンのモデルは葛飾区が勝ち得たため神戸のモーツァルト像は「波の上を渡る若きモーツァルト」が選ばれることになった。余談だが、「なぜ、東京葛飾に???」という疑問を持たれる方もおられるかもしれない。

葛飾区は1987年に当時の市長が訪日する機内で映画「男はつらいよ」を見て柴又の下町人情とウィーン郊外が「ドナウ川と江戸川を携えた町」など似通っているとのことから、フロリズドルフ区と友好関係になった経緯がある。その後、渥美さん主演の寅さんが作中でウィーンへ旅行をするシーン(1989年リリース)などのご縁がきっかけで没後200年を記念しての建立となった。

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  葛飾区に建立されたモーツァルト像

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 ウィーンにある 「かつしか 通り」

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 葛飾区にある 「ふろりず通り」

多少の紆余曲折があったものの、神戸元町商店街のみなさんの多大な協力と神戸市の理解があり、無事に1991112日神戸市東遊園地にてモーツアルト像建立除幕式を迎えることとなった。

 

 

 

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付記:

 

モーツァルト像建設発起人の活動はもとより、「神戸モーツァルトクラブ/KMC」の方たちのご尽力はとても多大だったといえる。   以下神戸モーツアルトクラブのホームページを参考に。

 

1982年に神戸コンサート協会 中筋栄一さんの呼びかけで7名の世話人によって神戸モーツァルトクラブ設立への一歩が踏み出される。神戸凮月堂にてモーツァルトの演奏会を含めた例会が開催されるようになる。会員数52名から始まり1991年にた169名を数えるほどに拡がる。会員として所属していたし曽根保彦さんの関係もあり、この年の東遊園地におけるモーツァルト像建立除幕式にモーツァルト協会の有志も参加し、翌1992年の11月に「モーツァルトフェスティバル」と称して像設置1周年記念講演を開催。2002年設立20周年を機に凮月堂からアマデウスに活動拠点を移した。

 

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神戸の方たちが力を合わせて一つの「大きな事業を試みる。」という音楽を交えてのつながりを隅の方で見させていただいた20年前の貴重な体験。

20年経た今もなお音楽で紡ぎ、継続してこの街を音楽で育てていきたいという皆さんのエネルギーを感じて、音楽の喜びを分かち合えたら幸せです。

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長谷川香織